全体を俯瞰するには画面が小さい

 先日、思考がEM・ONEの画面サイズに拘束される気がするという話を書いたところ、いくつかのブログで拾っていただきました。

 ザウルスで文章を書くことについて - シリアルポップな日々:serialpop days

 090201 わたしも、HT-01A中心にブログ記事を書いています | あべたかRoom

 いずれのご意見も、PDA的なツールで文章を書くことに比較的好意的なお考えかと思います。私もそこは同意見です。私がこうして曲がりなりにも毎日ブログにメモ書きし続けられるのは、EM・ONEというツールを得て、通勤電車の中で原稿を書けるようになったことが一番大きいです。その点、EM・ONEは自分の可能性を広げてくれたと思いますし、今では親指2本だけで手書きより速く書き込む自信があります(^^; ですから、こと「文章を入力する」という点において、自分がEM・ONEというツールに拘束されているとはあまり感じていません。

 EM・ONEの画面サイズが一番気になるのは、おそらく、推敲や校正といった作業を行う場合、つまり、入力したものを後で見直す場合だろうと思います。とりあえずメモはしたものに肉付けして文章を作成したり、いくつかのメモを集約して新しいメモを作ったりという作業を行う場合、やりづらさを感じます。

 如実に感じるのが、個人的には作詞作業の際。私の場合、作詞もEM・ONEで行っているのですが、先日も書いたように、キーワードを書き出して、それを繋げつつ文章を編んでいくというのが私のスタイルです。キーワードや書きかけの文章を羅列していくと、当然、1つの画面に収まり切らなくなるわけですが、画面の外に出てしまったものは、存在しないのと同様の感覚になってしまい、すっかり失念してしまうことがあります。意識的にスクロールをして全体を眺めるようにはするのですが、本当はすべての情報が同時に俯瞰出来る方が発想のためにはいいような気がします。

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 ふと思ったのですが、もしかしたら、これは何もPDAのような小型機器だけに限ったことではないのかも。普通のPCであっても、入力はPCで行って確認は紙に印刷して行うという行為が行われている(うちの職場だけか?(^^;)ことを鑑みると、画面サイズというよりは、ディスプレイという機器自体が持つ問題なのかもしれません。